ウーパールーパーと文明との出会い
- date :2010.10.13
- writer :syogun
- pv :07503
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近代文明がウーパールーパーと出会ってから
今年で440年がたった事になっています。
その頃の日本では信長と家康が浅井・朝倉をフルボッコ、
秀吉が大出世した姉川の戦いと同じ年です。
荒俣先生の世界大博物図鑑、3巻目、両生・爬虫類では
フランシスコ・エルナンデスの旅行記が最初とされています。
メキシコの近くに、皮膚がやわらかく、
トカゲのように4本肢のある一種の魚がいる。
当時は足の生えた魚と表現されてたんですね^^
アホロートル、つまり水中の伊達者とよばれる。
こんな名がついたのは異様なおどけた姿のためである。
異様でおどけた表情なのは現代でも変わらず
(むしろこの短期間で変わってたら怖い..)
この頃はまだ「生物学」という言葉すらも確立されてなく、
かの進化論を唱えたダーウィンが生まれる240年も前の話。
当時はコンキスタドールが現地の文明を破壊をして黄金を略奪。
アメリカ大陸にとってはまさに死の時代。
そんな植民地化の進むアメリカ大陸に
医師兼植物学者のフランシスコ・エルナンデスが、
薬用植物の情報を集める特命を受けて渡ります。
任命されたのは1570年なのですが
実際にメキシコに渡ったのは翌1571年。
息子と一緒に5年間近くも収集とヒアリングに費やし、
更に2年間をかけて20冊相当の膨大な原稿と
800枚もの版画をを書作り上げました。
任命から7年もかけてどうにか作られたこの原稿は
当時植民地化において先行していたスペインにとって
「よく考えたら結構な機密情報だよね」という判断から
出版されることが無く王立図書館に保存され、
更に図書館が火事にあって消失するという憂き目を見ました。
エルナンデスからしてみれば相当「うそーん!」な感じ(泣
未開の地まで息子連れて行って頑張ったのに
結局出版もされず焼かれて..
エルナンデスが報われる事になったのは彼の死後、
メキシコに残っていた原稿の一部をもとに1615年に出版。
書かれてから既に38年もたっていましたが
初のメキシコの動植物を記述した博物誌としては
色褪せる所か..といったところでしょう^^
成体になっても水の中で生活するウパだけに
その本の中で足の生えた魚と表現されてしまうも、
エルナンデスの虚しい努力の甲斐もあって
ウーパールーパーの文献初登場となりました^^
参考・出典
・世界大博物図鑑、3巻目、両生・爬虫類
・コンキスタドール
・eージジイ・ドリンカーのセージとの格闘さま